仕事を食べ物に例えてみる

今日は朝1件社内連絡があり、10分ぐらいまともに仕事が出来たので気分がいいです。
午後からまたその件で少しは動けそう。やったー!

・・・

仕事を食べ物に例えて考えてみた。

【今の私の状況】

和食(自分の専門の仕事)を作るつもりが食材を与えてもらえない。自ら食材を取りに行くことも考えたがこのエリアでは許可がないとなにも採ることが出来ない。
洋食(全く別の仕事)の食材でも与えてくれるなら、まだ気を取り直して調理(仕事)し満腹感(満足感)を得られるかもしれないが、それもない。
ボスに食材(仕事)をくれるよう懇願したが、与えられたものをよく見てみると骨(無意味仕事)ばかりだった。
その場しのぎをしたようである。
ボスはいつもたくさんの食材をかかえて四苦八苦しているが、私の調理の仕方が気に入らないのか決して食材をよこそうとはしない。本人は苦労しているようだがいつも満腹そうでうらやましい限りだ。

他人の調理手伝い(仕事手伝い)を進んでやったり食材をわけてもらうこともしばしばある。
今日は漬物、明日は酢の物、明後日はクッキー、来週は米かパンが相場だろうか。
わけるのを断られることも多く、食べても逆に胃が痛くなる・・・。

毎日食べ物(仕事)がなく栄養失調(心の)で、頭がもうろうとしやる気がでない。
調理(仕事)する楽しみも忘れてしまったし、調理する自信どころか消化する自信もない。

あと2年ぐらいすれば和食の食材がどっさりくるからな、とボスに言われたが、それまでここで生きていられるか疑問だ・・・。もっと食べ物のある土地に引っ越そうと思う。

―――追記―――

調理した食事(成した仕事)ってのは、お客さんにふるまうために作るんだけど、お客さんをもてなしながら、自分も一緒に食べる。
旨くできなかったときでも、お客さんがフォローしてくれることもあるし、美味しく出来てもお客さんに満足してもらえないこともある。
そしてお客さんに満足してもらったときの充実感を、「やりがい」と呼ぶ人もいるらしい。

とはいえ、私の場合、食材がないと、調理できないはもちろんのこと、お客さんと食事をすることさえ出来ない。
「やりがい」というものとは程遠い所にいるのではないか、そう思えてならない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*