居場所

久々の更新になってしまいました。
おかげさまで元気にやっております。

いまだに度々社内失業のいやだったことを思い出すこともありながら、友達には気軽に『あの会社ぜんぜん仕事くれなかったんだよねー。暇で死にそうだったわ。』なんて言えるようになりました。

先日、居場所について 感じたこと。

遠くに住む私の母親がうちにしばらく滞在してたんですが、家にいるときは暇なのでうちの家事を手伝ってくれます。

私たち夫婦は夫がゴミ&風呂係になっていて、夫は遅く帰ってきても自分の担当はこなします。私がやるときといえば夫が風邪や出張のときくらい。

この分担でお互い不満もなくうまくいっていたんですが、母は古い人間なもので、仕事で疲れて帰ってきた男に風呂掃除だの朝からゴミ処理だのさせたら不憫だと全部かわりにやってしまうんです。
ありがたいことですが、夫は家での家事の役割がなくなりました。彼としてはらくだろうし、母がいるときは私もそれで別に構わないのですが、役割がなくなることについてちょっと懸念が。

image

家事の役割だけでなく、私は普段からあえて夫に頼み事をするようにしてます。
例えば高いところにあるものを取って、取り付けて、とか、重いものを運んで、とか、夜道が怖いから迎えにきて、とか、車の調子を見て欲しい、とか。
そうすると喜ぶんですよね。
男として頼りにされている、というのが嬉しい。自分の役割があることって、自分の居場所があるってことでもある。
だれかに必要とされてるって感覚は人が生きていく上でひとつの糧になってるんじゃないかな。

私も、夫が食べてくれるからこそ料理を頑張るし(ひとりのときは超手抜き)、生活の節々で夫に必要としてもらえると嬉しいです。
会社でも、あれはboreoutがよく知ってるから聞いてみなよ、だとか、それはboreoutに頼んどいて!なんてだれかが言ってるのを聞くと会社で居場所があるっていいなーと密かに思ってます。
ある日だれかがやってきて、boreoutさんにこんな仕事をさせるのは不憫だからと代わりに全部やってくれたら困るなぁ。

季節が秋めいてきて気持ちのいい夜です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*